大野建築設計事務所

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アーカイブ1

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2008年5月11日(日)

「歴史的建造物の保存活用へ、市民の関わり方を探る」と題して、高岡市本丸会館で記念講演とパネルディスカッションが開催されました。講師は工学院大学の後藤 治先生。

高岡市本丸会館が、近く取り壊されて駐車場になるとのこと。地元に居ながら知らなかったが、設計は矢田茂(東京大学建築学科の同期生、堀口捨巳、山田守らと共に大正期に建築デザイングループの分離派を結成したひとり)です。建物の内外に施されたディテールは大変美しく、特に内部は、石、漆喰、木彫どれを見てもとても繊細な仕事がなされている。世界遺産をめざしている高岡にとって、また一つ文化遺産を失うことになると思うと残念です。是非残して欲しいものです。

2007年9月30日(日)

町並み保存技術研修会2007金沢が開催されました。主催は全国伝統的建造物郡保存地区協議会、金沢市、金沢市教育委員会です。会場は東山ひがし伝建地区、主計町伝建地区。

金沢の伝建地区へ初めて見学に行きました。前々から行きたいと思いながら行けず、修理工事の現場見学と市職員の説明がしてもらえるとのことで参加しました。東山ひがし地区は、平成13年に国の重伝建 地区に指定され、伝建物が91棟、1階に木虫籠(キムスコ)格子が入り、2階に木製雨戸が入る端正な造りになっていました。主計町(カズエマチ)地区は平成15年に金沢の伝建地区に指定され、伝建物は34棟あり、特徴として3階建ての造りが多く見られました。この日はあいにくの雨でしたが江戸幕末の建造物地区を歩くにはしっとりとしたフンイキでとても良かったです。

2007年9月15日(土)~17日(月)

地上24メートルの巨大な島根県出雲大社。社伝によると中古には48メートルの高さでそびえ立っていたと言います。大国主神をまつる日本でも有数の神社で、現在の建物は18世紀のものになり国宝に指定されています。

2泊3日で島根県出雲の旅に車で出かけました。日程の前半はよく晴れて、まずまずの天候に恵まれました。初日、鳥取の米子に宿泊し、2日目に出雲大社に行きました。大社には全国各地から訪れ、参拝する姿が多く見られました。私も本殿に合掌し参拝しましたが、長年の風雨に耐えた木造建築に時のたつのを忘れ見入っていた。日本で最も古いとされる大社建築、荘厳さと美しさをもっていました。その後、島根県内の現代建築を見てまわり出雲に宿泊し、3日目は宿泊先でゆっくり過ごして帰宅しました。紅葉の時期でもないがひさしぶりに楽しい旅でした。

2007年8月18日(土).19日(日)

2007年7月16日に新潟県中越沖地震が発生しました。負傷者180人、倒壊家屋1万1千棟を超える甚大な被害です。中越地震から3年も経たないうちに地震に見舞われました。

建築家協会の新潟地域会よりボランティアの要請があり、8月18日、19日の2日間新潟に出かけました。
危険と判定された建物に一般ボランティアが中に入り活動出来るか否かを判断する作業です。
高速道路の柏崎近くになると道路は波のようにうねり、標識は50キロ規制になっていました。市内に入ると道路はいたるところ補修、全半壊した建物があちこちに見られました。地元の社会福祉協議会の方と共に2日間調査を行ったが、ボランティア活動は出来るものの見せていただいた建物の9割はどうにも住めそうにない状況でした。非常に痛ましい現状を見ると、改めて地震の怖さを知りました。避難所から出向かれた疲れた表情の住人から、「遠くから有難う」と言われた言葉が印象に残りました。

2007年6月2日(土)

小矢部市津沢で毎年恒例の夜高行燈祭りが6月の1日、2日と開催されました。今から約450年前に当地の鎮守の氏神として伊勢神宮より勧請されたと言われています。田植えが終わり五穀豊穣、豊年満作を神社に祈願し、町の人達が総挙げて行うおめでたいお祭りであります。
夜高は、行燈、山車,、釣りものを組み立てたもので長さ12m、高さ7mになります。

しばらく仕事に追われ、出かけることが出来ませんでした。
夜の11時頃に小矢部市津沢に着いたが、お祭りは最高潮のときでした。
地元の若連衆の「ヨイヤサ-」の掛け声と共に、夜高が激しくぶつかる様に思わず体に力が入りました。
それにしても、時間を掛け和紙に彩色して仕上げられた行燈は芸術的で美しかったです。

2006年9月3日(日)

富山市八尾町で9月1日から3日3晩、「おわら風の盆」が開かれました。地元の人が三味線、胡弓の音に合わせ、歌い、踊り、街中を流す。小さな坂の多い街には全国から25万人以上の人が訪れ、情感豊かな歌と踊りに酔いしれます。祭りは、風の厄日に風神鎮魂を願う「風の盆」と称し、毎年9月に開催されます。

昨年に引き続き、今年も夕方から八尾に出かけたました。天候に恵まれ、大勢の人が訪れていました。
街は雪洞が吊り下げられ、三味線、胡弓の音が夜空に飛び交い、「風の盆」一色になっていました。
建築に携わるものだからついつい民家に目がいくが、タイムスリップした様な気持ちになるくらい建物と「風の盆」が合っている。来年も来たいとおもいました。

2006年7月3日(月)

高岡市戸出地区の七夕まつりが今日から始まり7日まで開催。街には大小合わせて約2000本の七夕が飾られ、大きいものは高さが20メートルもあります。今年は43回目になり、YOSAKOI、はしご芸、児童クラブ行灯パレード、民謡踊り街流し、七夕コンテスト等、たくさんの催しがあります。

午後から仕事の手を止めて、戸出の七夕まつりに出かけました。雨上がりの青空に七夕の赤提灯が風に揺れ、映える。眺めているうちに、幼いころ兄が手づくりで七夕を作ってくれたことを思い出しました。短冊は色紙でなく、新聞紙に絵の具を塗ったものであったが、とてもうれしかったことを覚えている。
街を歩く子供たちにとって、いつまでも記憶に残る七夕になると思いました。

2006年4月29日(土)

高岡市金屋は今から約400年前に加賀二代藩主・前田利長公が戸出西部金屋から鋳物師7人招いて鋳物産業を興した町です。当時は武具や鍋釜をつくっていたが、その後、梵鐘、仏具、工芸品が生産されるようになりました。現在は販売額が全国の90%を占めており、「銅器のまち高岡」をつくりあげました。

数年前から始まった住民主催の「さまのこフェスタ」に出かけてみました。ゴールデンウィ-ク初日で晴天にも恵まれ多く人が来ていました。さまのことは千本格子のことを言いいます。4月2日に訪ねた富山市岩瀬地区の家並みに似ているが、竹の簾でなく木製のタテ千本格子が家々に使われています。ここも電柱がなく、道路が石畳になりとても美しいです。
各家では、美術品や生花の展示、工芸品の製作実演等が行なわれており、まちの活性化のために始まった事業ですが凄い住民のパワーを少し頂いてきました。

2006年4月2日(日)

富山市岩瀬地区で明治期の伝統家屋の修復工事が行われています。岩瀬地区は江戸時代前期に港町が形成され、明治期まで廻船問屋や北洋漁業が栄えました。明治6年に大火があり約600戸が消失したが、その後に防火土蔵造りと廻船問屋造りの建築様式ができました。現在、数十軒の修復工事が進められています。

小雨の降る中、傘をさして散策しました。通りには明治期の建物が数十軒建ち並び、竹の簾で出来た格子の入る家や正面を漆喰で仕上げた家があり、当時の風情を強く感じることができました。素晴らしい家並みです。富山ライトレール開業に向け、急ピッチで工事が進められていると聞いてますが、きっと人気の観光スポットになるに違いないと思いました。

2006年3月3日(金)

富山大学高岡短期大学部3GP(Good Practice)採択フォーラムが高岡キャンパスで開催されました。
①学内を学生作品で埋め尽くそうプロジェクト(ユニークな試み)の報告
②「炉端談義」方式による地場産業活性化事業(ニーズに応える)の報告
③非言語と言語の融合による地域国際教育(地域国際化教育)の報告
記念講演「非常識のススメ」-拡・脱・超の発想法  講師 水野誠一氏
現代はスピード化の時代でデジタルが進んでいるが、今こそ知識から知恵の時代。
文明はあらゆる所にあるが、文化はそこだけの固有のものであります。(文明だけでは限界にきており、知恵が必要になっている)

地元の小、中学、養護学校で、ものづくり教育が始まります。大学は今や地元企業との連携で高岡の活性化のために何が必要かと動き始めました。工芸都市高岡にとって今が一番大切な時と思います。

2006年2月23日(木)

富山県主催の「耐震強度偽装問題に関する講習会」が北日本新聞ホールで開催されました。会場には、建築関係者(建築行政、建設会社、建築事務所等)が多数。主催者側が今回の耐震偽装事件は、大きな社会問題になっていることを強調されました。

講師の山辺豊彦氏(山辺構造設計事務所)より、
構造設計のフローや構造計算の流れを資料で説明し、今回の偽装した個所を指摘する。
近年中に東海沖地震が起きる可能性が90%と考えられ、今や市民は地震に強い関心があると説明。
設計には、意匠、設備、構造とあるが構造の重要性はますます高まると強調。

講師の藤本昌也氏(現代計画研究所)より、
法改正の議論で5団体の意見が違う。まず、団体の考え方をしっかりしてから議論すべき。(スタンスの違いなのか?)
建築の質を上げるのに今回の法改正が妨げにならないようにすべき。
議論は行政と専門家だけでなく消費者も入るべきで情報の開示が必要である。

私が思うに、設計の分業化が進む以上、このような事がまだまだ起きるような気がします。
設計者が育つ環境には、現場体験が欠かせないはずです。フィードバックすることではじめて図面が描けるわけで、そうでなければ単なるドラフトマンです。本来、統括する設計・監理者は施工から独立した存在であり責任をとる立場にあると思います。
よって設計と監理を切り離したことで今回の事件が発生したと考えます。


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